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BY shiho yoshida | 2023-11-29 18:00:00 | 商品についてのちょっとしたお話

エディションナンバーとは。

「Edition(エディション)」とは、もともとは「版」を意味する英語。

版画の世界において「限定部数」をあらわす言葉であり、
エディションナンバーとも、シリアルナンバーとも言います。
版画作品の総部数を事前に決めて作品の価値を保持することがその役割です。

作家自身が原画を作成して刷りまで監修する版画作品では、
必ずエディションナンバーおよび作家のサインが入り、
限定制作である以上、刷り終わった「版」は廃棄されます。
もちろん、Weidman作品も、です。

イメージ的に、番号が若い方が価値があるということはなく、
刷り上がりの順番ではなくただの通し番号に過ぎない、そんな意味合いのことが多いようです。


さて、Weidmanさんの作品でもエディションナンバーを見てみましょう。

「Pastoral」
28/250




全部で250枚のうちの28番、ということですね。


「ButterflyⅡ」
144/400




全部で400枚のうちの144番。


数字表記ではないものもあります。

「Boy&Pet」
A/P



(消しゴムで消したような痕が・・・これはこれで気になる!!)

「作家保存」と言われる版画で、
A/Pは英語のArtist Proof(アーティストプルーフ)の略。
もともとは作家が保存用に持っておく版画のことであり、
通常のエディションナンバー作品とのクオリティは何ら変わるところはありません。


「Birds」
○○/400




私自身初めてみる表記。
Ed? Ea?

調べてもピンと来なかったので、
Lennaなら何か教えてくれるかも!と、
質問メールを送ってみました。

-------------------
Dear Lenna,

Hi.
I have a question.
About this edition number.
Is the written alphabet E.A?
-------------------

早速お返事が届きました。

-------------------
Hi Shiho,

It is actually Ed which stands for edition. 
It may look like an A but it is meant to be a d.  
-------------------

「お、やっぱりEdtionの略か。」
Ed/400

更に詳しいお話もこのあと続きました。
Lennaのお父さんであるWeidmanは特定の版画に番号を付けず、
単に版数の合計を与えるだけだったことがよくあったそう。
そのシステムは彼独自のもので、彼がそのように描いたものには通常は番号を振り直しますが、
紙の種類によっては修正ができないためこのままの版もいくつかあるとのこと。

貴重な一枚を毎回選ばせて頂いていることに改めて感謝の気持ちが沸き上がりました。


エディションナンバーから見るWeidman's ART。
ぜひ、みなさんとも一緒に改めて店頭でお話したいです。

今まではシリアルナンバーと呼ぶことが多かったけど、
これからはエディションナンバーとお客さまにも伝えようと誓った本日。

お勉強って楽しい;)

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BY shiho yoshida | 2023-07-08 19:00:00 | 商品についてのちょっとしたお話

皆様、こんにちは
TAIKIです!

GRUNGEのBLOGはを書くのは初めてなので少し緊張しますが
最後まで見ていただけると嬉しいです!

さて、今日は「シュタイフ」について
私が調べた事を少しお話しますね!



1847年にギンゲンというドイツの小さな町に生まれたのが、マルガレーテ・シュタイフ

-・-・-・-・-・-・-・-

彼女はわずか1歳半の時に、骨髄性小児麻痺を患い、
両手と右足が不自由となり、一生車椅子で過ごすことになってしまった。

そんな中でも、両親は障害があっても自立できるようにと
差別することなく学校に通わせ続けた。

1861年には洋裁学校に通い始め、そこで手芸の才能が開花。
諦めずに継続したことでの成果。
私も見習わなければ。。

その後姉と自宅の2階で洋裁店をスタート。
注文も順調に入り、店も繁盛していった。

女性や子供のお洋服を製造販売する
「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」を設立。

フェルト製の洋服、テーブルクロスなどの
家庭用品はたちまち評判となり、人気店へと成長した。

そして、
1880年シュタイフ社創業。

当初は小さい象のぬいぐるみが始めは作られていた。
子供にはおもちゃ、女性にはプレゼントとして出回っていた。
愛らしいデザインから、象のぬいぐるみを求め行列ができる程。

子供たちがぬいぐるみで遊んでいるのを見て
「子供達には最高のぬいぐるみを」との事で
会社名を「フェルト・トイ・カンパニー」へと変更。



事業を手伝っていた甥のリチャード シュタイフによって動物のスケッチが数多く描かれた。

そして、
1906年 社名を「マルガレーテ・シュタイフ社」に変更

-・-・-・-・-・-・-・-

それが今お店に出ているシュタイフのぬいぐるみになるという事です。





このなんとも言えない表情が可愛い。。
一体何を伝えたいのだろうか
皆様は何だと思います?

COLORSで一番なで肩の私の肩にも3匹の動物さんが乗りました!

そこからリチャードは本物の熊を思いつき、足と手を動かせる熊のぬいぐるみを作成。
それが世界で初めてのテディベアという事です。

前回SHIHOさんも詳しく書いてくれてくれているので是非コチラも!


この写真可愛すぎません?
壁を拭いているのかな?

話が脱線してしまいました。

人気が出てきたシュタイフ、それと同時に粗悪品も多く出回ったとの事
そこで区別するために、シュタイフ社製品のすべてにボタンを取り付け始めたそうです。
それが最も古いと言われているトレンドマーク、「ボタン・イン・イヤー」!!


↑こちらがトレンドマーク
このつぶらな瞳
吸い込まれそうになります。

こうして今のテディベアが出来ているという事になります。
皆さんいかがでしたでしょうか?

私もこう見えて小さいころ人形遊びとかしてたんですよ!
でも、シュタイフのぬいぐるみはやはり人を引き寄せる力がありそうですね。

ちょっと抜けてる感じというか表現が難しいですが
とにかくかわいい。
この可愛さぜひお店で体験してほしいです。

長くなりましたが、皆様、お付き合いいただきありがとうございます。
今後もこのような感じでアイテムについて触れていこうと思うので
お楽しみに!

明日も皆様のご来店心よりお待ちしております。
TAIKIからは以上です。


 

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BY shiho yoshida | 2023-06-20 18:00:00 | 新入荷情報, 商品についてのちょっとしたお話

Steiffについて、ご存じでしょうか。
テディベアと言えば「Steiff」のイメージを持っている方が多いかもしれません。


今日はSteiff社の歴史を少々お話したいと思います。


*・:。:・・**。・:*・。。。:・。。:・::***・:。*・・:。*


1847年、創業者 マルガレーテ・シュタイフの誕生 
7月24日、ドイツの小さな町ギンゲンで、マルガレーテ・シュタイフは
シュタイフ家の4人兄弟の3番目の子どもとして生まれました。
マルガレーテはわずか1才半のとき骨髄性小児麻痺を患い、
両足と右手が不自由となるハンデを負い、生涯車椅子と過ごす事になります。

1861年頃には洋裁学校に通いはじめ、そこで手芸の才能を開花。
姉妹でミシンを購入し、自宅の二階に洋裁店をスタートさせたことが
Steiffシュタイフのはじまり、はじまり。


1877年 Steiff社の前身となる「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」 が設立


1880年 世界で最初のぬいぐるみ誕生 
この年はシュタイフ創業の年とされています。

ある冬の日、小さなゾウのぬいぐるみが誕生したそうです。
マルガレーテ・シュタイフが自身の甥や姪におもちゃとして、
大人の女性たちにはピンクッション(針刺し)として クリスマスにプレゼントすると、
その愛らしさがたちまち評判となり、
このゾウのぬいぐるみ欲しさに集まった人でお店は賑わったそうです。 


1893年 社名を「フェルト・トイ・カンパニー」に変更


1902年 テディベアが誕生
1897年から事業を手伝っていたマルガレーテの甥、リチャード・シュタイフが思いついたのが、
「本物のようなクマのぬいぐるみ」であり、
腕と脚を動かせる毛足の長いモヘアで作られたクマのぬいぐるみを設計し、
これが世界で最初のテディベア「55PB」だそうです。


1903年 テディベアブーム
ライプチヒの見本市で発表された「55PB」のクマのぬいぐるみがアメリカ人バイヤーの目にとまり、
たっくさんの注文が入ったそうです。
シュタイフ社のクマのぬいぐるみは、
当時ルーズベルト大統領の晩餐会のテーブルディスプレイとしても使われ、
ルーズベルト大統領のニックネーム‘セオドア=テディ’にちなんで、
クマのぬいぐるみはテディベアと呼ばれるようになり、一大ブームを巻き起こした、というわけです。


1904年 ボタン・イン・イヤー
この頃になると人気を博したSteiff社の粗悪な類似品が出回るようになったそうです。
Steiff社は他社の類似品と区別する為に、
自社製品の全てにボタンを取り付けるようになります。



これが世界で一番古いトレードマークといわれる「ボタン・イン・イヤー」です!!

1906年 社名を「マルガレーテ・シュタイフ社」に変更

1909年 この年の5月。マルガレーテは61歳で天国へと旅立ちます。
彼女の旅立ちは、シュタイフ家の人々や従業員たちにとって哀しい出来事でしたが、
マルガレーテの精神を受け継いで、
機械に頼らず、ひとつひとつ手作りしてゆくことを誓い、
マルガレーテの甥が会社を引き継ぐことになります。




1953年 テディベア誕生50周年

1980年 シュタイフミュージアム開館
いつか行ってみたい。。

1992年 シュタイフクラブ設立

2002年 テディベア誕生100周年

2005年 新シュタイフミュージアム開館


*・:。:・・**。・:*・。。。:・。。:・::***・:。*・・:。*


マルガレーテ姉妹の想い。

近しい人たちを喜ばせたい
笑顔が見たい
そんな想いから生まれたSteiff

その手にSteiffのぬいぐるみを持ったら
その魅力に惹かれてしまうのも時間の問題かもしれませんよ・・・。

(私はそのうちのひとり(笑))


今回のドイツ買付でもたくさん見つかったSteiff。











荷物の入荷については、わかり次第お知らせいたしますので、お楽しみに。




▽Steiffについての過去のBLOGはコチラから▽








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BY shiho yoshida | 2023-05-20 13:00:00 | 新入荷情報, 商品についてのちょっとしたお話

KOSTA BODA(コスタ ボダ) の起源は、
1742年スウェーデン南部スモーランド地方に設立されたガラス工場「コスタ」。

社名はスウェーデン国王カール12世配下の二人の将軍、
アンダース・コスクルとスタン・フォン・ホルステンの名前を組み合わせて作られ、
ヨーロッパで現存するガラス工場の中で一番古い歴史を持つブランドです。

その後、「ボダ」社との合併を経て1971年に「コスタボダ」に。
そんな古い歴史を持つメーカーです。



今回入荷したこの鳥は、
コスタボダのチーフデザイナーでもあるBertil Vallien/バーティル・ヴァリーンによるデザイン。



国際的に認められているスウェーデン在住のデザイナー・ガラスアーティスト。



数々の賞を受賞しており、世界中の博物館にも作品が展示されています。 
作品は神秘的。
その美しさは夢のような世界です。


聞いたことがある方も多いかもしれません、スウェーデンの代表的ガラスアーティストでもある
Erik Hoglund/エリック・ホグラン、
彼も1953年~1973年までコスタボダに在籍していました。



一流の芸術家である専属デザイナーと、熟練のガラス職人たちの息のあったチームプレー。
ガラスと光の可能性を追求して作られる製品は非常にアーティスティック。
センスの良い贈り物にもオススメです。



ꔛꕤ*。゚
初夏を盛り立てるインテリア サンキャッチャーコレクション
5.25(Thu)- START
ꔛꕤ*。゚



▽サンキャッチャーのお話▽


 

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BY shiho yoshida | 2023-02-14 14:00:00 | 商品についてのちょっとしたお話

ドイツでは古くから時計が生産されてきました。
Junghans(1861年創業)や、KIENZLE(1822年創業)など、
世界の時計業界を牽引してきた老舗時計メーカーはとても有名です。

以前、ドイツ人のディーラーさんに聞いたことがあったの今日は改めてそのお話を。

「ドイツに陶器の掛時計が多いのは何でなの?」

*。・・。:。・。・*・。・*。。


第二次世界大戦後のドイツ。
たくさんのものが破壊されたり損傷した状態に傷つきながら生きていた時代。
1940年代後半からもともと多く存在していた陶器の製造所が再び再建され、
陶器産業が盛り上がっていったそうです。

1950年代に入り、陶器の掛時計が登場したとき、
あまり広くない住宅スペースに、
掛時計のような生活必需品は装飾品と組み合わされ、人気のセラミックオブジェになったそう。

なるほど。

1950.60年代はパステル調やカラフルなもの、
1970年代に入ると白や茶系が多かったみたいです。
そして、1970年代以降、陶器の装飾品は段々と姿を消していったとか。


*。・・。:。・。・*・。・*。。


第二次世界大戦に敗戦したドイツが、
国の再建のために力を入れた産業の中のひとつにあったのが窯業。
1950年~70年代かけては特に盛んだった陶器産業の中で、
FatLavaを始め、芸術的な陶器作品が多いのもこの時期のものですね。

掛時計もその中の一つ。
陶器の魅力は、素材感や土のあたたかさを感じることができたり、
釉薬の表情もひとつひとつに個性があることだと思っています。

時間を知るための道具というだけではなく、
生活の中で時を刻んでくれる一生の相棒。
そう思ったら掛時計を見る目が変わりそうです。



.。*Spring is coming.。*.
Wall Clock collection
2023.2.18(sat) start




 


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